社畜レベル向上プロジェクト

真剣に社畜としての自分の人生に向き合うブログです

就活はゲームである。しかしそのゲームは人生をも左右する

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就活はゲームである。
決して軽んじているわけではなく、人生を左右するほどの重要性を持つゲームであるということが言いたいのです。

6月を目前に控え、もうすぐ就活における最も大事なシーズン、面接のシーズンがスタートしますね。
これから先、就活生の多くは究極の相対比較試験の中で挫折を味わうでしょう。
スタート地点は同じだったはずの友人は次の面接に進んだのに、自分はお祈りメールももらった、なんてことはザラにあります。
仕方ないんです。これはそういうゲームですから。

 

僕の就活失敗談

僕が就活生だったときの話をします。
僕は特に深い自己分析もせずに周りの皆が就活を始める流れに乗って、スーツを着て様々な会社の会社説明会に行き始めました。自分が何をしたいのかも全く分かりませんから、完全に手当たり次第です。
パチンコホールからメーカー、地銀、メガバンク、一流商社まで、スケジュールが空いてしまうのが勿体無く思えて、毎日予定を入れていきました。
そのままの勢いで面接シーズンに入ったので、面接も手当たり次第です。
最初に始まったのはテレビ局、特に拘りもなかった僕にとっては面接の練習のつもりでしたが、当然周りの友人も皆受けるので、残酷な相対比較試験の第一回目となるのでした。
一次面接が始まりました。

試験管「君はテレビ局で何をやりたいのですか?」
僕「現実に焦点を当てたドキュメンタリーでありなからも、バラエティの面白さを持った番組を作りたいと思っています」
試験管「具体的にはどんな番組を作りたいのですか?」
僕「例えば、ドラ◯もんの道具を現実世界で開発することに挑戦して、その開発過程でぶつかる壁とそれを乗り越える様をドキュメンタリータッチに写し、出来上がったその道具を芸人さんに渡して、面白おかしく使ってもらうような番組です。こういった番組は今までは………ペラペラペラ」
試験管「分かりました。ありがとうございました。」
僕(よし、とりあえずうまく話せたし、この面接は突破しただろう。)

その後、当時付き合っていた彼女とカフェで落ち合いました。
彼女は僕と同じ大学の大学生で、総合職採用で就活をしていました。
彼女も当然そのテレビ局を受けていましたが、今回の面接は通る自信がないと言っていました。
彼女「ポルコ(僕)はどうだったの?うまく自分のこと話せた?」
僕「結構うまく話せたと思うよ。何の番組作りたいか聞かれたときは、ドラ◯もんの実写版をドキュメンタリーとバラエティのミックスで作りたいって熱く語ったよ。」
彼女「…ドラ◯もんって、フ◯テレビでしょ?今日受けたのは日◯テレビよ。少なくとも今は日◯テレビでそんな番組は作れないじゃん。」
僕「確かに…(全然考えてなかった)。でもちゃんと話せたし、自信あるよ。これで一次面接を落ちたら逆に不思議だと思うくらい。」

当時の僕はこの就活を完全にナメていました。ちゃんと話せれば大抵受かる位に考えていたのです。

3日後、僕のところに日◯テレビからお祈りメールが来ました。
僕の彼女含め何人かの友人は二次面接に進みました。
これが僕の最初の挫折でした。僕の自尊心は傷付き、もはや彼女にも会いたくありませんでした。

今考えればこれで落ちるのは当たり前なんですけどね…。ナメ過ぎてますよね。

その後も僕は自分の中で答えを見つけられないまま、手当たり次第就活を続けました。
幸いそこそこの有名大学なので、書類では落ちず、必ず面接までは進むものの、全然うまくいかないのです。

ブラジャーの有名ブランドであるトリ◯プの一次試験は、グループワークでした。
(当時の僕はブラジャーの会社だとは知らずにエントリーをしていました)
就活生向けブラをどのように開発するかをグループ毎に話し合って結論を出すのですが、その過程を試験官がずっと見ているというものです。
僕は積極的に会話を仕切り、ホワイトボードに意見をまとめ、そして最後の発表も僕がしました。
試験官からの皆への最後の質問、「このグループの中で、1人だけ一次試験に受かるとしたら、あなたは誰だと思いますか?」
全員が僕の名を回答し、僕自身も僕の名を回答しました。正直、他のメンバーは僕の意見に同意するだけで消極的だったし、決して話も上手くなかったように思ったからです。
一次試験から3日後、僕のもとにトリ◯プからお祈りメールが来ました。
何故!?僕はもう混乱してしまいました。一体どうしたら認めてもらえるのだと。

今考えれば、試験管から見た僕は、メンバーの意見に耳を傾けず、独りよがりで話を纏め、ただの目立ちたがりの身勝手な男にしか映らなかったんでしょう。
試験官からのあの最後の質問は、僕がお祈りメールをもらったときにちゃんと僕が反省し、僕自身の弱点に気がつくように仕向けた優しさだったのかもしれません。

 

就活生へ

僕に決定的に足りなかった視点は、一言で言えば、
会社の経営方針の中で、自分がどのように会社に貢献できるのか
という視点です。
会社は学校でもありませんし、慈善事業団体でもありません。会社に貢献する気もない人間を取っている暇なんてないのです。

自分がこの会社の中でどのように貢献できるのか、について考えぬくと、自然と自分がやりたいこと、自信があることが見えて来て、そう考えるに至った自身の経験に基づく背景にまで深く整理することができるはずです。
もし本当にやりたいことがなかったとしても、試験官から見た自分、どういう人間が相対的に優秀に見えるか、というのを考えぬくことで、面接で上手くいくようにはなるでしょう。そのためには場数を踏むことです。
少なくとも、僕は手当たり次第の就活によって人よりもたくさんの挫折を味わい、その中で学ぶことが出来ました。
最初の面接があってから、最初の内定をもらうまでの3ヶ月間(当時は全社一斉スタートというのはなかったので)、僕の手帳は毎日面接で埋まっていました。時には朝から夜まで1日で5社受けたこともありました。
いくら若いとはいえ、体力的なも精神的にも相当しんどかったのを記憶しています。役員面接で遅刻したこともありましたし、時間ギリギリの電車でモーレツな便意に苦しんだこともありました…。
そんな日々も、一社目の内定が出るとガラッと変わります。
自信も付いて、本当に自分が興味ある企業だけに絞って就活を続けることができるので、精神的に肉体的にも余裕が生まれ、面接でのパフォーマンスもグッと良くなりました。そして、本当に自分が納得できる企業の内定を頂くことができたのです。

でも、僕の就活の仕方はきっと正しくはなかったと思います。
最初から確りと、企業目線で就活生群を見た時に自分がその中で光るストーリー、を準備しておけば、こんなに苦労せずとも就活はうまくいったような気がするのです。
あと少しでも自分の間違いに気づくのが遅かったら、自分の興味ある企業の採用が全て終わってしまっていたかもしれませんしね…。

今年就活している方達に伝えたいのは、この人生を左右するゲームは期間限定である、ということです。
イス取りゲームのようなものですね。
のんびりしているとあっという間に置いていかれ、座れるイスがどこにもなくなってしまいます。
もう、音楽は流れはじめ、人気のイスの前には意識の高い就活生達がぞくぞくと集まっていますよ。
のんびりしている暇はもうありません。

残業やめたいですか?

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何気なく日本のテレビを見ていたら「ガイアの夜明け」で興味深いテーマを取り扱っていました。
「残業やめられますか?」
強制的に残業を無くそうとする会社と、急な方針転換に翻弄されて戸惑う社員、その混乱を管理職側と部下側の両面から捉えた番組でした。
番組を通して見て、なぜ誰も本当の目的を掘り下げて考えないのだろう、と感じてしまいましたが、番組の最後に江口洋介が「残業を減らすというのはあくまで手段である。手段が目的になってはいけない」という締め方をしていました。やられた、これは確信犯だな、と。
視聴者が「手段が目的になってるじゃないか!」と感じるように番組を構成し、最後に「そう、あなたの言うことが真実。」と締め、視聴者はここで自分の意見が真実だと納得して満足する。
まさしく僕がハマったパターンです(笑)

番組の中でも、部下からの「どうしてノー残業なんですか!?」という質問に、しどろもどろになりながら「会社の方針だ。私の立場もわかってくれ」と応えているシーンがありました。

その上司の中では完全に手段が目的になってしまっているようでした。

仕事以外で、自分が大切にしたい時間をつくり、人生をより豊かなものにすることが目的ですよね。一度きりの人生ですから。
その大切な時間を、会社の都合で奪ってはいけない。
だから、もし仕事をしている時間が楽しくて仕方なく、自分の人生を豊かにしているのは仕事だと信じて疑わない人に対しては、やはりその仕事の時間を会社が奪ってはいけないのではないか、という理屈もありますね。屁理屈に聞こえるかもしれないですが、意外とそういう人もいたりするんです…。

じゃあ問題は何なのか。

限られた時間をどう使うかは、本当に自分がしたいことで優先順位を決める

これが出来ないということがきっと問題なんです。
とはいってもお金は稼がないといけないですから、毎日夏休みーというわけにはいかないですね。
よって、平日9時〜5時は仕事として、平日のアフター5、が自分でどう使うかを決められる範囲になると思います。
僕らは毎日このアフター5の使い道を決めながら生きているんです。
そして、僕をはじめ多くの社畜達は、そこで"仕事をする"という選択をしているんですね…。

なぜでしょう…?

もちろん、大事なプレゼンの直前や決算前などの繁忙期であれば、家族との夕飯や恋人との時間よりも仕事の優先順位があがるでしょう。
それは、そこで成果を出さないと自分の評価、ひいては給料に影響が出ると考えられるからですね。
当然日々の積み重ねも大切ですが、会社員には必ず"ここでやらねば"という時があるものです。

しかし、それがあるとしても、振り返るとほぼ毎日残業していますね…。

上司よりも先に帰ると"ラクをしていると思われる"なんて職場は論外ですが、そんなクソ上司ではなく、"やることをちゃんとやってくれれば勤務時間は関係ない"という上司のケースの方が多いのではないでしょうか?
僕の職場はまさにそのケースです。

やることをちゃんとやってくれればOK。

しかし、この一言で僕らの残業は決まってしまうのです。
こういうことを言う上司は大抵優秀で、仕事に求めるクオリティも高く、そのクオリティ如何で評価が決まります。
営業であれば、時間をかけた分だけ数字をあげるチャンスが増えるでしょうから、やはり評価に繋がります。
そうなると、やることをやれば評価する上司と、向上心のある社畜がセットになると
やはり残業は避けられなくなるんですね。

ここまで考えると、実は問題は評価方法にあることが分かります。
「出来るだけ残業はせずに家族や友人との時間を大切にしろ、でも評価は数字と仕事のクオリティで決めるぞ」
と言われてしまえば、評価と給料を上げるために仕事の細部に拘るということの優先順位が高くなるのが我々日本の社畜です。

かつての高度成長期、我々社畜の祖先の方々は、「あいつより良いものを」「あの会社より高品質のものを」と躍起になって働き、もちろん良いものを出せば評価され、それが今のジャパンクオリティに繋がっているのでしょう。

モーレツに働けば働くほど、評価され、経済成長にも繋って給料も上がるという、社畜にとっては良い時代だったわけです。

そして現在、そのときに出来上がった"モーレツに働く"というある種の強迫観念みたいなものだけが残り、"何を成し遂げるために働くのか"、という一番大事なことが社員1人1人からは見えなくなってしまったように思います。
社長が明確な経営理念を示せばいいとかそういう問題ではなく、社員1人1人の目標設定を明確にして、通期でその目標を超えさえすればいい、という考え方を徹底する必要があります。
これには上司の高いマネジメント力が必要になりますね。
毎日定時に帰り、目標の100%を達成した部下と、毎日残業して目標の120%を達成した部下とを、同じ評価にしないといけません。それが上司に出来ないと、評価が欲しい社畜達はいつまでも残業をします。(僕のように)

もし、いくら言っても残業が一向に減らない、よく働くマジメな社員達に囲まれた会社の社長があなただったら、残業=悪というこのトレンドの中で残業削減を株主からの要請された場合、どのような手を打ちますか?
もしかしたらとても非効率に仕事をしているから残業が減らないのかもしれない、いつの間にか意味のない残業をさせるクソ上司ばかりの会社になっているのかもしれない、しかし、もしかしたら既に社員は限界まで効率的にやっていて人が足りないだけかもしれない、この残業で引き上げているクオリティのおかげで今の当社のポジションがあるかもしれない、、、などなど、色々考えてしまいそうですね。
しかし、どの中間管理職に聞いても、既に限界まで効率的にやっているから人が足りないだけなのだ、と言うだけです。

そうなると、もう選択肢はあまりありません。
人を無駄に増やしてコストをあげるわけにはいきませんから、"全社員一律で残業禁止にして、非効率の膿を洗い出す"、その過程において多少のモチベーションの低下やクオリティの低下はやむ無し、という経営判断も、ここまでくると合理的に思えてきます。
この記事のタイトルでもある「残業やめたいですか?」は従業員だけでなく、経営者にも問いかけられているんです。
今回のガイアの夜明けのように、残業問題について従業員達に焦点を当てた番組はいくつもありましたが、経営者の判断に焦点を当てた番組や記事は今までに見たことがありません。
やもすると目的が手段となっているように"見えてしまう"この問題を、経営者と従業員双方の視点から捉えて、問題認識を一致させたうえで、解決に向かって共に考え抜いていくことが大事なのではないでしょうか。

ヒラリー・クリントンの名言 for 社畜

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前回に続き、名言シリーズです。
惜しくも大統領戦に敗れてしまったヒラリー・クリントン、世界のキャリアウーマンの代表ともいえる女性ですよね。
そんな彼女の数ある名言の中でも、僕の大好きな名言を紹介させてください。

こちらも聞いた瞬間にゾワゾワっとした系の名言です。

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クリントン大統領夫妻が、ドライブの際にたまたま立ち寄ったガソリンスタンドのオーナーが、ヒラリーの昔のボーイフレンドだった。

クリントン「ヒラリー、僕と結婚してよかったね。もし彼と結婚していれば、今頃君は田舎のガソリンスタンドのおカミさんだ。」

ヒラリー「何を言うの。もし私が彼と結婚していたら、彼がアメリカ合衆国の大統領になっていたわ」
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もうね、カッコ良過ぎますよ。
努力に裏打ちされたみなぎる自信、絶対に誰にも媚びない姿勢、自分の人生は自分以外には決めさせないという意思をひしひしと感じますよね。

昔、数ヶ月だけ付き合っていた彼女に言われました。
「私は幸せになりたいの。」
本当に幸せを自分の力で掴みとろうと思っている人はこんなことを彼氏には言わないでしょう。
誤解を恐れずに言えば、現代の結婚観においてもまだ多くの女性が"自分を幸せにしてくれる人"を探しているように思います。

そんな受動的な考え方はやめて、"自分が幸せにしてあげたい人"を探してほしいと思います。
そうすれば、自分の人生が自らの手の中からこぼれることはないでしょう。
少しテーマからそれてしまうので、このあたりの話はまたどこかで書きたいと思います。

社畜的解釈
社畜として日々上司からの頼まれ仕事に追われているとき、一体自分は誰のために働いているんだろうとふと疑問に思ったとき、このヒラリーの名言を思い出してみましょう。
あなたの働きは、上からのあなたの上司への評価にも繋がります。
あなたの上司が尊敬に値する人物なら、その上司に出世してもらうためにも、精一杯良い仕事をしていきましょう。
仮にあなたの上司が全くもって尊敬に値しない人物だとしても、やはり良い仕事をしていくしかありません。
悲しきかな、この会社組織においてはあなたの評価はあなたの上司にしかできないのです。
あなたの上司が評価されず、その低評価の上司からあなたも評価されなかったときが最悪のケースです。
基本的に社畜は上司を選ぶことは出来ません。
くそ上司に当たってしまった運の悪さを呪う暇があったら、そのくそ上司が評価がされるために、そしてその上司に自分の仕事を評価してもらうために、腐らずにやるしかありません。
それがどうしても耐えられないレベルで嫌なら、違う環境(会社、部署)を探しましょう。

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社畜である僕と先日部長に昇格した上司がたまたま立ち寄った事務下請け子会社の一角で、積み上がった書類に黙々と印鑑を押し続けている人物がいた。
かつて僕がいた部署で隣の課の課長だった人物だった。

上司「お前、俺の課に配属されてよかったな。あいつの課に配属されていたら、今頃お前はあそこで書類を渡す係だ。」

僕「何を言っているんですか。もし私が彼の課に配属されていたら、今頃は彼が部長になっていましたよ。」
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…言ってみたいですね…。

スヌーピーの名言 for 社畜

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みんな大好きスヌーピー

ただ見た目が愛らしいだけでなく、人間ぽくてナルシストでたまに達観したりして本当に魅力的なキャラクターですよね。

そんなスヌーピーも、実は僕ら社畜の心に響く名言をいくつも言っているんです。

そんな中から、今回は僕が一番好きな言葉を紹介します。
それは、いばりんぼでわがままのルーシーと、スヌーピーとの会話から生まれます。

 

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ)

 

いいですねー、スヌーピーのこの回答。

トランプのカードゲームのポーカーに例えてるんですね。

5枚のカードが、人によっては配られた段階でフルハウスになっているかもしれないし、ワンペアかもしれない。

始めの手元のカードがなんであれ、プレイヤーはそのカードを使って勝負するしかない、ということですね。

スヌーピーは、なぜ自分が犬であるのかということに疑問を持ったことはあるものの、疑問を持ったところで何も変えることはできないのだから犬として精一杯生きようと、どこか達観しつつ現実を受け入れたという経験があるのでしょうね。

イケメン、ブサイク、髪がある、髪がない、運動神経がいい、悪い等々、自分ではどうしようも出来ないことなのに人生の方向性を大きく決めてしまうようなことってたくさんありますよね。

そういったものは、嘆いたって何も変わらないんだから全て受け入れるのが一番だよ、とスヌーピーは教えてくれているのです。

 

配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ

 

この言葉を始めて見たとき、僕は全身にゾワゾワっと何かが上ってきました。

当時僕は企画部署にいたのですが、計数管理担当で、その分野の知識やスキルについては自信があったものの、その担当業務の地味さに辟易していた頃でした。

企画部署に転勤になったときには少し誇らしい気持ちになっていたものの、与えられた仕事は計数管理でした。

正しいのが当たり前、間違えれば怒られるという、なんともやりがいを感じるのが難しい業務なんです。

それでも自分なりに努力もして計数関連は社内でも一目置かれるようになったにもかかわらず、やはり光が当たるのは企画推進をやっている人間。それが同期だったり後輩だったりすることもよくありました。

僕も計数と企画を同時にやればよかったじゃないかと言われればその通りなのですが、当時の僕は、計数担当は上からは全然評価されないとただただ愚痴っているだけのひどい男でした。

そんな僕の目に入ってきたのが、このスヌーピーの言葉です。

あぁ、その通りだなと。

もうそれしか言えないです。当時の僕宛てのアドバイスとしてこれ以上の言葉はないですね。

他の同期達と比較して僕の上からの評価が低く、かなり落ち込んでいたときだったのですが、これを読んでとっても気持ちがラクになったのを覚えています。

自分はこんなことを愚痴るだけで人生を浪費するわけにはいかない。本気で人生を生きていこうと、強く思いました。

それから英語を勉強して運良くシンガポールに赴任でき、今は企画を担当しているのてますが、当時身につけた計数管理力が企画を具体的に進めて行くうえで非常に役立っています。

スヌーピー、ありがとう。

ハンドスピナー 〜幻影蝶(Next x)〜

前から気になっていたんですよ、ハンドスピナー。
どうやら日本で流行っているとネットニュースとかで見て、もしシンガポールでも売ってたら買おうかなーなんて思っていたんです。

今日何の気なしに家族でブギスを歩いていたら、見つけました。ハンドスピナー!

 

ベーシックな三又タイプの他にも、二又だったり、楕円だったり、金属だったりプラスティックだったり、デザインも色々あるんですねー。

色々な種類がある中で僕が選んだのは、この幻影蝶。(ネーミングセンス!)

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もう見た目から好き。
僕がそもそもメタリック好きっていうのもあるのですが、この虹色メタルもいいですよね。
掌にフィットする大きさと重量感で、僕の息子もこの幻影蝶を持ったあとはしばらく離しませんでした。
思いっきり回してみると、2分ちょっとは回り続けますね。でもハンドスピナーにしてはまだ短いのかな…?

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これは日本では売ってないんですかね?ネットで探してもこの幻影蝶ハンドスピナーは見つかりませんでした。

(※5/22にAmazonジャパンで発見し、正式名称?が分かったのでタイトルを少し編集しました。)

 

社畜としては、このハンドスピナーをデスクで回しているうちに企画のアイデアを閃いたり…なんてことを妄想しますが、現実はそんな甘くないでしょう。
シンガポール人の同僚達から物珍しさで注目され(ただ回るだけのものに40ドル払ってますから!)、上司からは苦笑いされ、日本人の同僚からはまだ余裕だなって思われるんでしょう…。
でも、僕は回しますよ!

うちの一歳の息子はタイヤとかを回すのが大好きですから、この"回す"という行為は人間の本源的な欲求のどこかに影響しているのかもしれません。
大人でもこれを回していると少し落ち着くような気がしますし、何か無意識に満足しているんでしょうね。

ベアリングの高度な技術が使われているのに対して遊び方がとてもシンプルで、何か不思議な魅力を持っているアイテムです。
うーん、これはハンドスピナーの金属シリーズをコレクションしたくなりますね。

ごろっとグラノーラから考える

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ごろっとグラノーラ、これは美味しい!!!

今は縁あってシンガポールで働いているのですが、ごろっとグラノーラが買える国で本当によかったーと思えるくらい好きですねこれ。

メープルの甘さとフルーツのごろっとした素材感、食べてるときに脳がどんどん満足していくのを感じます。

 

10年前にはこんなグラノラなかったですよね!?
誤解を恐れずに言えば、「フルーツをもっと大きくカットしたほうが素材感が出て美味しい」「メープル仕立てにしてみよう」と10年前に気付くことができれば、自分もこんなヒット商品を開発出来たかもしれない!なんて思ったりもします。(もちろんそんな簡単なもんじゃないのは百も承知ですが…)
当時は、グラノラとはこういうものだ、と店頭に並んでいるグラノラに何の疑問も不満も持たず、ある中から1番美味しいと思うものを選ぶだけでした。

意外とみんなが当たり前だと思っていることの中にも、ちょっとした工夫をするだけで満足度が急激に上がるものもあるのかもしれないですね。

 

先日、自分の使っているマックス社のホチキスをシンガポール人の同僚に貸したところ、「力を入れずにこんなに簡単に留められるなんて!」と感激していました。
確かに使い比べると全然違うんですよね。
このホチキスにしても、従前の"ホチキスにはこの位の力を入れるのが普通だ"という固定観念にひっくり返したんですね。

こういった「固定観念をひっくり返すような商品開発」は日本のお家芸といえるんじゃないかと思います。
何故って、僕の経験則に基づくイメージですが、日本人が最も繊細で人の機微を感じとれる民族だからです。

 

ただ、iPhoneのように世の中を変えてしまうような革新的な発明は日本からは出にくいんでしょうね。

それは教育の問題かもしれません。
皆と違うことを良しとしない教育の中では、常識にとらわれない柔軟な発想をできる思考回路はなかなか培われないんでしょう。
一方で、他の人がどう考えるかということに気を使いながら育ってきているので、潜在的な顧客ニーズの発掘や、顧客満足度の向上は日本人の得意とするところですよね。

 

シンガポールで働いていると、外から日本がどう見られているのかよくわかります。

誇りを持てる良い話もあれば、残念な話もあります。

そのあたりについても、どこかで書いてみたいと思います。

涙のわけ

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ポルコです。

一緒に仕事をするメンバーは自分で決められないことのほうが多いから、お互いに期待どおりにならないことなんてよくあると思います。

 

今日のことなんかはよくあることなのかもしれないですが、少し残念な気持ちになりました。

 

同僚の女性社員(事務職ではなく幹部候補生)とあるプロジェクトを進めているのですが、スケジュールを踏まえて今日やるべきタスクをごく普通に伝えたところ、急に不機嫌になり、どんどん涙目に。

今日は彼女が新入社員向けの部署紹介のプレゼンをする日だったので、タスクが重なったことが原因だったようです。

そのプレゼンは10分もない位で、資料も既存資料を使うだけだったのですが…。

お昼ご飯の時も泣いていて、ろくに話も出来ませんでした。

 

午後すぐ、その新入社員向けのプレゼンが終わり、少し晴れやかな顔になって帰ってきました。

そして、予定していたプロジェクトのタスクは終わることのないまま6時に帰りました。。。

いやまあタスクが終わってなくても、定時ですからもちろん帰る選択もあると思います。

 

気になったのは、涙、です。

お昼まで泣いていたあの涙は、一体何のための涙なのか?

精一杯頑張ったのに結果上手くいかなかったときの悔し涙、ではないですよね(そもそもまだ結果もないし)。

では何か。

私、こんなに頑張ってるのに皆分かってくれない。また仕事を増やされる。なんてかわいそう。

という、"私かわいそう涙"ですね。


もうガキじゃないんだから仕事中はやめてくれと。ほぼタスクはひとつなんだし…。

 

泣くと雰囲気も悪くなるし、皆もそれが"私かわいそう涙"だって分かっているし。きっと本人だけはその涙の理由を深く考えられないんでしょうね。

まあ泣くことで交感神経と副交感神経のバランスが整って、気持ちも落ち着くというのは分かるのですが。

僕の尊敬する女性幹部の方は、ある女性社員に対して「泣くなら必ずトイレで泣きなさい。人前で涙を見せたら負けよ」と言っていました。
さすが、覚悟が違いますし、分かっていますね。


タスクがたくさん来ているなら、そのタスクを全部うまくこなして能力の高さをアピールできるチャンスだと思うんです。

マルチタスクをこなしているうちに、上からも「あいつなら上手くできそうだから、この大きなプロジェクトも任せよう」となってチャンスをものに出来るでしょうし、既にやりたいことがあるなら、実績を残すことで自分のプロジェクトを立ち上げることも出来るでしょう。

 

もし彼女が事務職であれば全く問題ありませんでした。
むしろ仕事を振り過ぎてしまってすいません、となります。

ただ、彼女は幹部候補生として頑張りたい、頑張れると言ったのです。

残念ながら、これで当分は彼女に重要なプロジェクトはまわってきません。
キャパの大きさが知れてしまったので。

 

涙は女の武器、なんて言ったりしますが、こと仕事においては未来をマイナスに変えてしまうかもしれない危険な武器ですので、意図せず出てしまいそうなときにはご注意を。